ぎっくリ腰
新年度が始まり暫くが経った。いまだ心がふわふわ浮わつき落ち着かない者もいるようで、早く腰をどっしり落ち着けて塾の勉強に専念してもらいたい。私はというと、腰を落ち着けるもくそも、重度の「ぎっくり腰」になってしまい1週間ほど動けずにいた。病院でブロック注射を3本打ってもらって何とか歩けるまでに回復したのだが、あまりの痛さに「救急車を呼んでくれ」としくしく泣いてしまったほどである。「ぎっくり腰」をドイツ語では「魔女の一撃」と言うらしい。カッコいいではないか。患っても最低限の威厳は保たれるというか、相手に深刻さを分かってもらえる気がするのだが、日本の「ぎっくり腰」という名前は全然ダメである。冗談みたいな病名の割には笑えないほどに痛いし、そのふざけた名前のせいで情けなさだけが募りに募る。
大学生活をスタートさせた卒塾生は、この時期が一番楽しい。一年の春であるのと同時に、おそらくは人生の春であるからだ。未来に夢と希望を託して辛抱を重ねた高校生活、(その期待を裏切らない)楽しく充実した大学生活が待っている。童話「アリとキリギリス」のアリで居続けた彼らにはその春を謳歌する資格がある。日本には、学歴をひけらかすことを良しとしない謙遜の文化、裏を返せば卑屈な文化があるのだが、そんなの関係ない。自慢したければ堂々と自慢すればいいのである。自分が頑張って成し遂げたことを自慢して何が悪いのか。自らは何も成してないのに、身内の自慢をする人間よりはるかにましであろう。ただし、周りができる子だらけなのですぐに冷めるし、むしろ自分がいかにできないかを思い知らされるはずで、自信を失わないよう努めることに精一杯になる。それでも調子に乗り続けて、学業を怠ったり、単位を落としたり、留年したりすることがあるならば、どうか切腹してほしい。
新高1生は進学おめでとう。夢と希望を抱いて、青春を謳歌できるドラマのような高校生活を期待しているかもしれないが、そんなものはない。さほど中学とは変わらない淡々とした高校生活が待っている。義務教育である中学なら、学校や教師に依存したり責任転嫁できたりしたわけだが、これからは(青い尻ではあるが)自分のケツは自分で拭かなければならなくなる。かと言って、そこまでの自由が許されるわけでもないのでフラストレーションだけは鬱積していく。授業内容も中学とは比較にならぬほど難しくなり、理解できないまま座っているだけの授業が増え始める(教師が下手くそというのもある)。ゆえに周りを見渡すと睡魔に集団感染したかのように、驚くほど眠りこけているクラスメイトを目にする(し自分もその一人と化している)。やがて勉強面が思うようにいかなくなり、学校に来る意義や拠り所を部活動に求めようとする。定期テストが平均点を越えないほど肝心の学業が崩壊しているのに、部活の練習は全てに優先して参加し、勉強はそっちのけで土日にまで練習試合を詰め込み、夏にはよく分からん合宿があり、それらには律儀に参加する。あかん…愚痴が止まらなくなってきた。
ちなみに高1(多摩教室)の前々回の単語テストは、あまりにも酷かったので答案用紙を回収しなかった。前回はましになったかと思って回収してみたが、合格者は一人もいなかった。まるで北斗の拳の世紀末である。毎年一人くらい救世主がいるのだが、今年はまだ見当たらない。高1生の保護者にお願いしたいのは、どうか単語テストで頑張るよう激励してほしい。紙を眺めて覚えてるだけなら「紙にちゃんと書きなさい」「声に出して発音しなさい」と言ってあげてほしい。帰宅後には「単語テスト何点だった?」と聞いてあげてほしい。確かにもう義務教育ではないし、独り立ちしていく時期なのだが、高校生になったからといって、いきなり手を放すのは狼のいる荒野に3歳児を残すようなものである。疎まれるしかもしれないが、塾で何を勉強してきたのかなど軽くでいいので聞いてあげてほしい。私も授業で「親にもっと塾のことを話せ」と言うので。できる子ほど、私のしょうもない話を含めて、よく授業のことを親に話している気がする。
このようなことを言っておいて何なんだが、帰宅して奥さんが「今日の授業どうだった?」と尋ねてくることがよくある。私は毎回決まって"Same old, Same old."「いつもと同じ」という返事をする。おそらくムカつく生徒がいても、世紀の珍回答に大爆笑しても、生徒が東大に合格した日でも常に返事は「いつもと同じ」なのである。ただ疲れていて面倒くさいだけなのだが、奥さんから「毎日同じなわけないでしょ!」と突っ込まれると、プライバシーの守秘義務があるとかなんとか言って逃げきる(いや、逃げれてないのだが)。しかしながら、ここ最近は違う。その日の授業の様子をなるべく奥さんに話すようにしている。それは生徒にもっと親と塾のことを話してほしいので、まずは教師である自分が率先して手本を示さなければと思ったから…ではなく、ぎっくり腰になって以来、なんとか奥さんにマッサージを頼みたいからである。