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2015年6月17日 (水)

オチを最初に?

将来的にはスピーキングに特化したクラスを作ろうと考えている。以前に高校生の会話クラスを設けたが、希望者がなく自然消滅し、社会人の英会話クラスになってしまった。教室が2つあれば、会話のクラスも可能になるだろう。今の授業では発音やアクセントに触れることはあるが、どっぷり話したり聞いたりするまでは至らない。

基本、既存の教育機関を見る限りスピーキングに関しては絶望的なので、日本にいる限りスピーキングの習得は難しい。本当に話す強い意志のある人間が留学するしかないと思っている。できれば、身も心もどっぷり浸ることのできる留学には及ばないだろうが、きちんと力のつくまともな会話クラスをぜひ設けたい。

去年は夏休みに友人のAlexがカナダから遊びに来てくれて、授業をしてくれたが今年はそれも望めない。忙しくなければ、奥さんに頼んでやってもらおうかとも考えている。奥さんもAlexほどではないが(Alexは言語学者だ)、慶応大学の医学部で脳の研究をしながら、多くの教授たちの英語論文のチェックをしている。

医学部のドクターたちの英語はどうか?という話題になった時に、彼らの多くは意外に英語が話せて驚いたそうだ。日本人全体レベルで見れば話せる人は少ないかもしれないが、特定のフィールドでは、話せる人材がきちんと育っている。ただ英語論文に関しては、悪い意味での日本人らしさが出るらしく、よく「Unclear!(論理が不鮮明)」、「Wordy!(冗長、しつこい)」などとぶつぶつ言っている。

これは帰国子女にも言えることで、日常会話はできるが、文章に書くと滅茶苦茶なことが多い。一般の高校生になかなか分かってもらえない(分かってほしい)のだが、そもそも英語と日本語とは話の展開法が大きく異なる。英米では、相手を打ち負かし、ぐうの音も出なくさせるような論理的なライティング法を小学校の時分から徹底的に教え込まれる。

英語のエッセイでは、主張を先頭に置き、後にこれでもかとしつこいまでに根拠や具体例を列挙する。日本人のようにオチを最後にもってきたり、どんでん返しを狙ったりしない。常に主張→根拠→具体例であり、極めて論理的な内容にこだわる。

例えば「イチゴ好き?」と聞かれて、「もちろん!(Of course!)」などと言うと、「なぜ、もちろん?嫌いな人もいるはずだと思うんだけど?」と眉を顰められてしまう。また、「なんでカナダに行くの?」という問いに対して「英語を学びたいから」と言うのは、論理的に飛躍しすぎていて根拠としては認められない。英語を習得したければ、シンガポールやフィリピン、何だったら日本の英会話学校やラジオ英会話などでも良いわけであり、カナダである必要性はまったくないからだ。

このように論理が不鮮明では、煙に巻いた文章として評されるのが落ちで、「あとは読者のご想像にお任せします」や「ここから先は言わなくても汲み取ってくれるよね」的な文章も同様にアウトである。そういう言い回しの技法に慣れ親しんでいる日本人ほど、オチを最初にばらしてしまう英文エッセイを書くのはかなり抵抗があって辛いはずだ。

個人的には、日本のオチを最後まで隠すスタイル、いわゆる「オチの文化」が好きだ。漫才のオチ、落語のオチ、会話でも「で、オチは?」いうように話のオチにこだわる。小学1年生の時に書いた「先生あのね」という作文を覚えているだろうか?「先生あのね」という書き出しのルールさえ守れば、あとは何を書いても構わなかった。日本語のライティングとは、今も昔も「徒然なるままに」書いてもよしとされるものなのだろう。

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