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2015年10月11日 (日)

カナディアン・コーヒー

アメリカ人は「アメリカン」のような薄いコーヒーばかり飲むから、(映画に出てくるような)大きいマグカップで大量に飲む必要があるのだろうと思っていた。エスプレッソのカップが小さいのと同じ発想である。しかしながら、実際カナダにもアメリカにも「アメリカン」というコーヒーは存在しなかった。私自身、スターバックスのような専門店のコーヒーは苦過ぎて、漢方薬を口に含むようなものだったので、カナダでは薄いコーヒを提供するマクドナルドのような大衆店に行くしかなかった。

カナダでの私の経済状況は切迫していたわけでもなかったが、「
スターバックス」のコーヒーを別の紙コップで2等分し、カウンターに置いてある牛乳をたっぷり入れて2人前のカフェオレを作るということを試してみたことがあった。ひらめいた時は自分はなんて天才なんだと思ったが、あまりにも品位を欠いた行為にドン引きしてしまい、一度試したきりでやめてしまった。遠い異国の地で、日本人の恥にはなりたくなかったのである。

このように私は基本薄めのコーヒーが好きなので、大衆コーヒー店の「ティムホートン」で買うことが多かった。そこで、コーヒーとティンビッツ(小ぶりのドーナツ10個)を購入しては、よくダウンタウンの図書館に通った。日本の融通の利かない図書館とは違って、飲食は自由で、大勢の人がコーヒーを傾けながら本を読んでいた。カナダ人に「日本の図書館ではコーヒーは飲めない」と言うと、「日本人は不幸だね」と言われて、その通りだと思った

クリスマスが近づくと、「セカンドカップ」というコーヒー専門店
に足を運んだ。店内のクリスマス装飾や店内に流れる伝統的なクリスマス音楽が好きだった。-40℃の凍てつく外の世界とは違って、扉を開けるとそこには優しく温かい空間が広がっていた。ツリーや装飾の1つ1つを眺めながら、マグカップにたっぷりのコーヒーを傾ける。カナダに「風流」というものがあるのならば、その時その空間がそうだったのだと思う。

一番思い出深いコーヒーは、ESLのコーヒーである。毎朝眠い目をこすっては、淹れたてのコーヒーをいただいた。淹れたてにもかかわらず、あの不味さは奇跡的だった。ただのカルキ臭い茶色いお湯でしかなく、たっぷりの砂糖とミルクを入れて何とかごまかしながら飲んでいた。そのアメリカンよりも薄くて不味いコーヒーを、私は皮肉を込めて「カナディアン」と呼んでいた。

キッチンや教室で「カナディアン」を傾けながら、クラスメイトや教師らと語らうのは楽しかった。新天地で友人を作るのは簡単で、キッチンでコーヒーを飲んでさえいればよい。そうすれば誰かしら声をかけてくれるし、良き話し相手になってくれる。コーヒーは英語以上に世界共通の言語であり、心を開く万能なコミュニケーション・ツールなのかもしれない、と心底そう思った

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