フォト
無料ブログはココログ

« 「くそ」のはなし | トップページ | カナディアン・コーヒー »

2015年10月 3日 (土)

読解の仲介業

10月に入り、早いもので今年も残り3か月。今年は授業以外の時間は、ひたすら入試問題を解いてきた。おかげでこのブログの更新頻度も、まるで最近の「ワンピース」の連載のように落ちてしまった。過去問に取り組むにあたり、やはり鍵は読解問題だと再確認した。普段から生徒に口を酸っぱくして言っているのは、読解のない入試問題はない、読解は配点が高い、読解は一朝一夕ではどうにもならない、ということである

読解問題が本文の内容解釈だけで済むのなら簡単なのだ
が、それから設問を解きにかかるとそうはいかない。というのも、本文を読む際には英米人的な思考や論理運びにチャンネルを合わせるのだけれど、設問にあたる際にはその回路を日本人的な思考に切り換える必要がある。TOEICであれば、最後まで英語の思考回路のままでよいが、日本色の強い入試問題ではこのスイッチの切り替えを頻繁に行わなければならい。これが私には厄介極まりないのである。

入試問題の設問や選択肢の英文には、
出題者のテイストが見え隠れする。そうすると、オリジナルの著者の意図を汲み取るのではなく、間に割って入ってくる出題者の意図を汲み取らなければならなくなる。その英文も思考回路も日本人的で、正直眉をひそめたくなるものもある。悪問であればあるほど、出題者の存在がよりいっそう鮮明に見えてくる。

疑いの矛先は解答にも及ぶ。正答を確認する際、私は赤本(過去問)に頼るが、それを執筆した予備校講師は信用に足るのか。また、
もし入試本番や模擬試験ならば、その試験の採点者は信用できる人物なのか。特に英作文の場合、採点者の英語力の差異によって点数は大きく変動する。以前、東大模試で、生徒の英作文が17点とつけられていた。それを見て、私は「甘いというか採点ミス。5点かな」と修正したことがある。

このように入試問題(特に読解問題)には、オリジナル(原文)の著者、問題作成者、赤本執筆者、答案採点者が絡んでくるのだが、皆が似たような解釈を共有できているかどうかは甚だ疑問である。どこかで不必要な主観が入り混じり、オリジナル(著者)の解釈
を捻じ曲げてしまうことは大いにあり得る。生産者と消費者との間に複数の仲介業者が割り込んできた感じで、鮮度もなければ、変に加工されて美味しくないのである。

もちろん、授業で解説する際には私の主観も入る。私のフィルターを通して生徒たちは理解をするわけで、つまりは私自身も仲介業者なわけである。結局は同じ穴の狢なのだが、それでも、害悪な異物を濾過できるような良いフィルターでありたいと思う。


« 「くそ」のはなし | トップページ | カナディアン・コーヒー »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1699445/61676077

この記事へのトラックバック一覧です: 読解の仲介業:

« 「くそ」のはなし | トップページ | カナディアン・コーヒー »