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2016年1月11日 (月)

年末年始あれこれ

年末年始は京都の実家でのんびりさせてもらったが、受験生のことが脳裏をよぎるたびに何か罪の意識のようなものを感じずにはいられなかった。彼らにしてみれば、まだ何も「明けまして」でもなければ、「おめでとう」でもないはずで、もしかしたら暗闇のどん底にいるかもしれない。もちろん光明が差していることを信じてはいるが、年明け最初の授業で彼らの顔つきを見るまでは気もそぞろである。

年末年始の「クリスマス」、「正月」、「成人式(のバカ騒ぎ)」は、受験生をいらだたせる日本三大行事(?)である。世間がお祭りムードになればなるほど、受験生は不機嫌になり、ストレスのカタマリと化していく。少し先の「バレンタイン」を含めることもできるが、その頃は受験シーズン真っ只中で愚痴をこぼす余裕さえなくなっている(かもしれない)。お門違いや八つ当たりと言われればそれまでなのだが、かくも受験生とは繊細で心が狭くなるものである

大晦日、そんなことを考えながら、コタツに潜って紅白歌合戦を見ながら悠長に年越しそばをすする自分がいた。紅白の内容はともかくとして、たっぷりとネギの入った「にしんそば」は絶品である。民放の
「笑ってはいけない」にチャンネルを回そうかとも思ったが、「笑ってはいけない」と言われるまでもなく、「笑えない、笑ってる場合ではない」受験生への配慮と願懸けの意味を込めてやめておいた。 

正月3日、京都から東京に戻る新幹線、乗車率150%らしく指定席車両も鮨詰め状態だった。通路に立つ外国人観光客の赤いバックパックが私の目の前で揺れているのが気になった。結構なサイズの「破魔矢」が4本、斜めに差し込んである。以前、神社に訪れる外国人観光客は、破魔矢が"cool(カッコいい)"からとお土産に購入するというのを聞いたことがあった。トイレに行こうと席を立った際に、連れの仲間だろうか、同じように破魔矢の刺さったリュックをいくつも見かけた。

4本もの破魔矢を突き刺しているのは、さすがに異様な光景だった。
彼自身に刺さっているように見えて、まるで落ち武者のようである。このままでは魔を破るはずの矢が、逆に彼自身の身を亡ぼすのではなかろうかと思ったが、むしろその方が体内から魔が払われてよいかもしれないなど、あれこれ考えては混乱していた。ただ、どうよく捉えようとしても、リュックに捻り込まれている雑な扱われようが、ランドセルの縦笛や買い物袋の長ネギのようでかわいそうだった。

「光陰矢の如し」である。無情に行き過ぎる時を矢に喩えるなんて、昔の人はなんて詩人だったのだろうか。それに比べて英語の"Time flies."は、ターキー(七面鳥の肉)のようにパサついて味気がない。とにかく、この言葉の意味を最も痛感しているのは世の受験生たちかもしれない。

センター試験まで1週間をきった。受験生たちの矢は現在どこにあるのだろう。見当違いの方向に飛んではいまいか。もしかしたら、躊躇して手に握られたままかもしれない。はなから神風が吹くことを期待する受験生も中にはいるが、期待を寄せて都合よく吹くものを普通「神風」
とは言わない。そんな暇があるなら、一分一秒を惜しんで勉強してほしい。

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