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2016年4月19日 (火)

恐怖の電話

今ほど便利でない時代、カナダに留学して間もなく、現地の公衆電話から国際テレホンカードを使って、初めて両親に繋がったときは心底ホッとした。公衆電話こそが日本とカナダを結ぶ唯一の連絡手段であり、異国にいることで生じる様々なストレスを和らげてくれるものであった。当時の私にとって、電話はまさにライフラインだったのである。

留学をして一年を迎えようという頃、アパートを借りて一人暮らしを始めた。その際、
大家さんとの契約交渉に始まり、電気、水道、ガス、インターネット、テレビなど、全て「電話」による申し込みの手続きを踏まなければならず、それはもう筆舌に尽くしがたいほどの地獄だった。経験者ならわかるかもしれないが、聞き慣れない専門用語による複雑なコースの説明が、日本のように決して丁寧な対応ではなく、リスニング教材のおよそ2倍の速度でまくしたてるように話される。

1時間近く押し問答したり、「またかけ直してください」と逃げられたり、男性の声はくぐもって聴き取りにくいので女性のオペレーターに代わってもらったり、雑音に煩わされぬよう人気のない公衆電話までわざわざ赴いたり、全てはリスニング力のなさが原因なのだが、日本で積み上げてきたプライドや自信といったものは吹き飛んでしまった。電話でピザを注文して、いい気になっていた自分が恥ずかしい。

正直、「もう一度言ってください」と言おうものなら、沈黙されたり溜息をつかれたりすることもある。しかし、こちらは生きていくうえで、なんとか契約にこぎつけなければならない。英検のように「2回聞き返してダメなら諦める」ことなどできないのである。何度も心が折れそうになるのだが、「生活がかかっている」、「異国の地で野垂れ死にたくない」と言い聞かせて奮い立つしかなかった。このまま尻尾を巻いて日本に帰るわけにはいかないという意地もあり、必死に受話器を握り続けていた。

一方で、同じ手続きでも「銀行口座の開設」や「大学の履修」手続きなどははるかに楽だった。電話ではなく対面して行われるからである。電話なら全ての情報は音声だけでやりとりされるが、対面しての会話は、身振り手振り、表情や唇の動きなどを視覚によって理解することができる。自分の拙いリスニングをその視覚からの情報によって補うことができるのである。この差はとても大きい。

一連の電話地獄を教訓にして、それからの授業や講義は可能な限り前列の席に座るようにした。講師の唇の動きや表情が読めるからである。もはやモジモジして下を向いている場合ではなかった。また、ネイティブにも早口な人や滑舌の悪い人はいるのだが、そういう人と話すときほど
、おどおどせずにしっかりと「見る」必要がある。リスニング教材も、ただ聞くだけのものよりも、話す人の表情や口元が分かるドラマや映画を利用するようになった。

また、このことは英検の2次試験にも当てはまる。たとえば、英検の面接に限っ
ては「相手の目を見て」というよりは、「相手の唇の動きをしっかり見る」ことが重要になる。また、こちらが話すときも、相手の表情を観察することを忘れないようにする。理解してくれていない表情をしていたら、すぐさま第2第3の矢を放たなければならない。リスニングだからと言って、耳にばかり頼る必要はないわけで、可能な限り「視覚」を働かせることを意識してほしい。

「英語」を単なる学問や受験の道具という範疇から、実生活レベルに落としこんで考えてみること。「起こるはずがない」と半笑いで行う避難訓練のようではだめであって、実際に使用する機会がくることを前提にきちんと備えるべきである。そうすれば本当に目指すべき英語やそのために為すべきことが自ずと見えてくる。「必要は発明の母」と言われるが、
「必要」は英語にとっても母である。「必要」という感覚が英語の習得には少なからず必要なのである。

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