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2016年8月29日 (月)

夏の終わり

研ナオコの「夏をあきらめて」がラジオから流れてきた。

いい曲だなーと思ったものの、受験生には決して口にできない言葉である。バブル期の余裕からだろうか、こんなネガティブな曲が流行ったのは。英語の発音は危なっかしいが、かすれた声がいい。昔の歌を懐かしんでしまうのは、時代の流れに乗れていないからかもしれない。新しいテクノロジーやサブカルチャーが次から次に出てくるのに、こうも昔を懐かしんでしまうのは、皮肉というか、単純に歳だからだろうか。

自分の大学受験も、いまや遠い昔となってしまった。自分は大器晩成だと信じていて、全然努力をしなかったが、高2くらいから冷静に自分の才能や力量を理解し始めて、むしろ人の2倍も3倍も努力をしなければいけないということに気がついた。そこからはひたすら努力である。才能ある人間と同じ土俵で闘うにはそれしかなかったし、世界史や漢文などの暗記科目は、むしろ努力で太刀打ちできるのでありがたくさえあった。そもそも晩成する大器などは私にはなかったのだが、努力によって受験に必要最低限度の晩成には到ることができた気がする。

英語に関しては竹岡塾のおかげで、なんとか手遅れにならずに済んだ。それでも、通塾することだけで安心してしまっていたり、やれと言われたことを機械的にこなしている感じで、せっかくの先生のありがたい授業が(馬の耳に)念仏だった。このままではやばいと気付いてからは、塾のテストでもましな点数が取れるようになってきたのだが、ただその頃はもう塾内のランク付けが済んでいて、難しい問題はできる生徒しかあててもらえず、悲しいかな私は蚊帳の外だった。

家で勉強できないタイプだったので、夏休みや休日は自転車で市民図書館に通った。机の真ん中に「学習禁止」の貼り紙がされてすごく肩身が狭かったが、背に腹は代えられず無視してやり続けた。「飲食禁止」の貼り紙もあって、「こんな蔵書も少なくて、不自由な図書館閉めてまえ!」と(心の中で)叫んだし、年寄りが新聞を広げているのを見ては、「喫茶店に行くか、家で新聞とれ!」と(心の中で)怒鳴ったりしたものである(すいません)。

高3にとっては重要な一年であり、夏休みが重要な時期なのは当然のことながら、高1も高2もサボっていいということはない。夏が過ぎて、手遅れと思しき受験生から電話がかかってくることもあり、一応体験授業を受けてもらったりはするのだが、ショックを受けて帰っていくのを見ることになる。
高3Aの生徒も始めからできたわけではない。通っている高校も正直ピンとこないところばかりだが、私の授業に曲がりなりにもついてきた彼らである。この時期から入塾してついてこられるほどやわな鍛え方はしていない。

高1高2生がむしろ心配である。井の中の蛙になっていないだろうか、クラスや学校の雰囲気に流されていないだろうか、高校受験時と同じノリで大丈夫だと思っていないだろうか、対岸の火事に自分は舟をこいでいることを理解しているのだろうか、臭いものに蓋をしていく毎日になっていないだろうか、文武両道のつもりが二足のわらじになっていないだろうか、自分は大器晩成だから大丈夫と(私のように)過信してはいないだろうか。

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