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2016年10月19日 (水)

歳月不待人

「歳月人を待たず」である。時間は必要なときほど、残酷なまでに速度を上げる。どうも常に等しく流れているようには思われない。小学校の1年間は凪の海のように永遠に思われたが、受験生のこの時期は警察も取り締まれないほどに猛スピードである。受験生の多くはひしひしとそれを感じていることだろう。

この頃になると、受験生であろうとなかろうと、学力だけではなく性格や要領といったものまで正確に分かってくる。全てお見通しとまではいかないが、学校の教師よりは受験までの予測はつく。それはノストラダムスの大予言のように断定的なものではないのだが、かといって彼ほど大外しするものでもない。

とは言え、「手遅れになる
」と私が思っても、それを口にするのはせめて高2までで、高3生は、むしろ裏付けや根拠がなくても自信を持たせなければならないので我慢である。怖いもの知らずなところが浪人生に勝る唯一の武器であり、それを奪うわけにはいかないからだ。そもそも本当に手遅れな生徒に対して、「手遅れです」とは死刑宣告のようでなかなか言えるものではない。

ちなみに、最初の面談で、「〇〇大学に行きたいので、何とかしてください。けど、なるべく楽な方法でお願いします。ちなみに暗記は苦手です」(とまで直接的ではないが)、そのような感じのことを言われると、容赦なくその場で死刑宣告したい気に駆られる。

「まだ間に合えば何とかなる」と思うから、そのような厳しい予測を包み隠さずに言う。信じる信じないは本人次第なのだが、台風の進路予測なみには正確だろうと自負している。要はそうならないようにもっと緊張感を持って頑張ってほしいのであるが、声を荒げるだけの単なる脅しであってはいけない。どこか信憑性があり、まさに「予言」のようにある程度のショックを伴って言い渡さなければならないのである。それでこそ緊張感は長持ちする。

ノストラダムスにしたところで、予言が的中しなかったことで詐欺呼ばわりされたが、少なからず2000年までの間、世界中の人々に緊張感を与え続けたことは彼の大きな功績ではないだろうか。彼の予言を鵜呑みにしていなくても、ひょっとしたらという気持ちがどこかにあって、世の中にはうっすらとではあるが緊張感があった気がする。

一方東洋では、中国の詩人である陶淵明が、「歳月は人を待たず、なのかも・・・」とボソッと言ってみた。ノストラダムスの予言は、いかにも西洋らしくお騒がせな感じがするのだが、陶淵明の方はいかにも儒教的で控えめな感じである。両極端な二人ではあるが、彼らの言いたかったことは実は同じで、世の若者たちに「緊張感を持たんかい!」と言いたかったのではなかろうか。
 

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