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2016年10月30日 (日)

言葉の魔女

ここ最近の冷え込みで風邪をひいてしまった。私がカルガリーにいた時に、Rosy( ロージー)というそれはもう言葉にうるさい魔女(講師)がいた。眉はつりあがり、常に不機嫌を装った感じの女性だった。雰囲気的には小公女セーラに出てくるミンチン院長のような感じだろうか。彼女には数えきれないほど英語を正されたのだが、風邪を引くたびに彼女のことを思い出すのである。

「風邪を引いた」はI caught a cold.という。いきさつは忘れたが、ロージーの前でI got a cold.と言うと、きちんとcatchを使ってI caught a cold.と言いなさいと注意された。
多少英語を話すことに慣れてくると、面倒くさがって考えながら話すことをやめてしまったり、私のように何でもgetでいけると思ってしまう。その慢心を見事につかれてしまったのであり、おかげでその後の授業は単なる風邪が重症になったかのように落ち込んでしまった。 

そのように注意されたということは、私の意図は少なからず通じたはずなので、それならいいではないかと少し腹もたった。しかしながら、スピーキングの指導にはアメとムチがいる。アメの部分ではコミュニケーションの円滑な流れを優先して細かい間違いは無視する。一方でムチの方は、時制や語法などをうるさく指摘する。それは会話の途中であったり、あるいは一定の量を喋った後にまとめて言い渡されることもある。アメとムチの割合は7:3くらいが望ましい。ロージーは明らかに後者で、両手にムチをしっかり握りしめていた。

なぜ「風邪を引く」にgetを使用しないほうがよいのか。いまだ納得する答えは持ちえていない。getは得るまでの過程に重きがあって、「(苦労の末になんとか)得る」という感じが文脈には相応しくなく、それよりはcatchの「タイミングよく掴んでしまった」といった感じの方が相応しいのかもしれない。とは言え、
言葉とはこちらの思惑通りにいくほど論理的なものではない。そもそも言葉を操る人間が感情的であり論理的でないのだから、全てを完璧に体系化して論理的に解釈しようというのは本末転倒なのだろう。

カナダに住んで10年になろうという中国人の知り合いがいたが、一切英語を学んだことがないと自負していた。確かに、雰囲気も発音もカナダ人なみだったが、聞き慣れてくると語彙が乏しい上にやたらとスラングを多用する。文の体裁をなしていなかったり、文法や時制はハチャメチャだったりで聞くに堪えなかった。彼女には悪いが、「こうはなりたくない」と強く思ったものである。

ロージーは息災だろうか? まだ教壇に立って厳しく言葉を取り締まっているのだろうか?意気揚々とやってきた私にことごとくダメ出しして自信を喪失せしめたロージー。きちんと考えて話すことを諭してくれた唯一の教師だったが、今の私の話す英語を聞いたらどう思うだろうか。あまりの酷さに卒倒するかもしれない。

当時、ランチタイムに彼女とふと会話をすることがあった。彼女の口から出た言葉は意外なものだった。「Yasuはきちんと考えて喋っているから偉い。しかも話すことにユーモアがあるところがいい」と褒められた。「シュール(dry)なんでたまに分かってもらえないことが多いんですけど」と私がこぼすと、"Your
sense of humor is dry and wry, but not so sly."(確かにシュールで捻くれてはいるが、そこまで陰険なものではないから大丈夫よ)と笑いながら答えてくれた

語彙の豊かさ、韻を踏む余裕、恐れ入った。さすが言葉の魔女である。

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コメント

>話すことにユーモアがあるところがい
日本語でも英語でも人間の根本は変わらないんやねw 風邪お大事に!

河田君久しぶり!息災ですか?正月くらいに一回会いたいね!

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