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2016年11月17日 (木)

悲しき日本人

外国人観光客であろうか。大きなバックパックを背にした男女2人が道をふさいでいた。脇を通り過ぎようとしたときに、その2人の陰に小柄な日本人がいることに気づいた。ちょうど交差点の信号が赤になったので成り行きをチラチラと見学。外国人2人はその小柄な日本人に道を尋ねているらしかったが、納得した答えを得られなかったのだろう。あろうことか次なる獲物を物色し始めたのである。

おそらく、その場で信号待ちしていたほぼ全員がドキッとしたはずで、それぞれの心の叫びは以心伝心し声には出せぬ声となって1つの大合唱になっていた。そう、頼むから「こっちにくるな!」と。

不運にもその願い届かずその場の生贄となったのは、20代半ばの大学生と思しき青年である。その外国人観光観客も闇雲にというわけではなかったらしい。確かに私の目にも、その青年が辺りの誰よりも昨今の「実用的英語教育」の恩恵を受けているように思われたし、視線を逸らさずに堂々としているあたりも頼もしくさえあった。

しかしながら、その青年が口を開くやいなや出た言葉は"Sorry, I can't speak English."という流暢な英語だった。外国人にしてみれば納得いかないことだらけである。まず、いきなりSorryと謝られる筋合いはない。また、流ちょうな英語で「話せません」と言われても、おそらく彼らは、その意志表示ができるのなら道くらい教えられるだろうと思ったはずである。

同じ日本人なら、その青年が"Sorry"と言ってしてしまう気持ちも分からなくはない。中学高校で6年間、大卒ならそれ以上、日本人はかくも膨大な歳月を英語学習に捧げている。その結果が、「アイ、キャント、スピーク、イングリッシュ」では、あの努力の日々はまったくの徒労だったのではなかろうかと疑いたくもなる。ましてや、ネイティブに面と向かって「私は英語が喋れません」と言うのは屈辱を越えて自虐的すらあり、神父の前で信徒が懺悔をしているかのごとしである。

この情けなくも悲しい事態が、日本各地でかつ現在進行形で起きているわけである。英語教育が伝統的な読み書きの学習に偏重し会話に重きを置かないからだ、とういう説もあろう。しかし大抵の人は、会話と同様に読み書きもできないのだから、この説はいささか説得力にかける。

つまるところ、相当の時間と労力を費やして学ぶことは学ぶのだが、高校の卒業をピークとして学ぶことをピタッとやめ、あっという間に忘れてしまうところに問題がある。富士山を八合目まで登って満足し、エレベーターで一瞬にして降りていくのである。それこそまさに徒労の一言で片づけるにふさわしい。

知識のつめこみに終始し、実技や実地訓練がないまま大学生となり、あったとしてもおんぶにだっこの留学やバカンスの延長上であることも多い(それがダメだというのではなく、それだけでは足りないのである)。勘違いしないでほしいのは、実践する場は別に海外でなくても、日本の各教室でもよい。英語教師が片言だから会話の授業ができない、効果がないということもない。英語を話す場、英語を話す十分な時間、英語を話すことに臆さぬ気持ちがあれば、確実に話す回路はできあがってくる。

もちろんこのようなアメの授業だけではなく、ムチの授業が必要であり、その為には前回のブログで述べたロージーのようなムチの教師の存在が不可欠になる。アメとムチの割合は7:3でよいから、つまり正しい英語を指摘できる教師が10人中3人いればよい。というのは簡単だが、ロージーのような教師は英米人の中にも少数だろうから、日本人の教師の中で見つけるのはなおさら難しいだろう。また、その辺の教育学部のdegreeも保有していない観光半分のネイティブを引っ張ってこればよいというものでもない。

このようなことを言いながらも、実のところ日本人が英語が話せないというのは誇張であって、話せないのではなく英語を使用することに臆しているだけなのではと思うこともある。長い歳月を割いてきた英語が、そう易々と根こそぎ頭の中から失われてしまうはずはあるまい。どこかに英語を使う外国人に対する気臆れがあって、喋れないのではなくただ口をつぐんでしまっているだけなのではなかろうか。そう思うと、英語の指導法についてあれやこれやと議論が重ねられ不満が噴出するのはどこか的外れのような気がする。

"I cannot speak English"と言った青年も、ネイティブに言わせればきちんと英語で意思表示ができているわけで、何を矛盾したことを言っているんだとなる。彼らも無知ではない。日本人の公用語が英語でないことは百も承知であり、英語が流暢に話せることなど期待してはいない。たかだか、道案内である。臆するとすれば未知なる土地を冒険している彼らのほうである。それをはなからシャットダウンしてしまう気持ちの弱さこそが、
英語を話せない根本的原因なのではないだろうか。

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