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2017年1月15日 (日)

神様の愚痴

センター試験の初日が終わった。日本全国あれだけ大勢の受験生が神社に参拝したにもかかわらず、ピンポイントでの大雪とこの寒さはいったいどういうことだろうか?神様とはなんてきまぐれな存在なのだろう。

確かに思い当たる節はある。初詣で「受験でミスをしませんように」と言うのならまだわかるが、自分の実力を棚に上げて「(努力は間に合いませんでしたが)受かりますように」と拝まれるのでは、神様といえどもふてくされたくもなる。「都合の良いときにだけやってきやがって!」とか「5円やそこらでは割に合わん!」  「参拝するときは帽子とらんかい!」などのようにかなり憤懣が鬱積してそうである。

去年の正月は、バックパックに破魔矢を刺して歩いている外国人を見てたまげた記憶がある。「お守り」や「お札」などは控え目な日本人に向いているが、外国人にはどこか物足りなく、見た目に攻撃的でカッコいい「破魔矢」の方がウケがよいのかもしれない。あれから1年経つが、彼がどのような年を送ったのか非常に気になる。神のご加護があったのか、あるいはその逆か。

とはいえ、受験生が本当に神のご加護を賜らんとするならば、破魔矢を鞄に差して受験会場に向かうのは意外とアリなのかもしれない。こんなことを言うと神社からも受験生からもクレームを受けそうだが、お守りや絵馬のご利益を授かれないまま撃沈する受験生が毎年大勢いることを考えると、一か八かで試してみる価値はあるかもしれないし、もし仮に運命というものがあるとして、それくらい思い切ったことをしなければ覆るどころか微動だにさえしてくれまい。

またまた受験生から「ふざけるな!」「不謹慎だ!」「それでも教師か!」という声が聞こえてきそうなので、そろそろこの辺でやめておく。

センター初日の夜。土曜21時。ミスドでコーヒーを傾けながら仕事をしているが、受験生たちの顔が浮かぶたびにソワソワして手が止まる。全てが全て思い通りにいくはずがあるまいと分かってはいるが、彼らの実力がありのまま点数に反映され、正当に評価されるだけでよいのである。万馬券や3連単を狙おうというわけでは決してない。

当塾の(ほとんどの)受験生には実力がある。「強運」や「ご利益」をくださいとは言わない。むしろ逆に、そのような要素が受験に絡んでしまう可能性を排除していただきたい。受験が純粋に実力だけの勝負になりますように。そう神様に祈ってしばらく後、やっぱり「強運」と「ご利益」の方も授けてください。できれば私にもお願いします、とかなんとか付け足してしまった。神様の愚痴が溜息に乗って今にも聞こえてきそうである。

 

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