沈黙は金?
英会話の授業を観察して、一つ気になったことがある。質問が聞き取れなかった場合など、誰一人として「もう一度言ってください」や「ゆっくりお願いします」、なんなら「わかりません」でもいいのだが、それらしき言葉がまったく出なかったことである。十数秒、あるいは数十秒に及ぶ沈黙が続く。「趣味はガーデニングです」とか「日本の政治に懸念を抱いています」などとは別にスラスラ言えなくてもいいのだが、聞き返しの表現は間髪入れずに出てくるようにしてほしい。
日本語での日常会話を考えてみたらよい。終始聞き返すことなく完璧な会話がなされているだろうか?家族であれ友人であれ「え?」「は?」「何?」の連続であろう。聞き返すことのない会話の方がむしろ不自然なくらいである。母語でない英語においては、なおさら不可能なのは言うまでもない。
このような意志表示がきちっとできることが会話の第一歩であり、相手にしてみても沈黙や支離滅裂な返事をされるよりはよっぽど印象は良いのである。聞き返すことも立派なコミュニケーションの一部なので、少しでも確信が持てない時には「まあいいか」とならずきちんと聞き返すことだ。
私自身、カナダに渡って当初、ホームステイ先で「イエス・マン」となり果ててしまった(沈黙はしなかったが)。カナダで迎えた最初の日曜日、昼食にマクドナルドに行こうと道を尋ねたところ、肝心の「マクドナルド」の発音が通じない。さらにはいざマクドナルドで注文する際に、店員が何を言っているのか全く分からない。
私は「ビッグマックセットプリーズ」とシンプルに注文しただけなのだが、店員はやたらといろんなことを言ってくるではないか。イントネーションから疑問文を投げかけられているのは分かる。「こちらで食べますか?それともお持ち帰りですか?」「…Yes」「ケチャップは何個必要ですか?」「…Yes」 もう悲惨である。
冷や汗たらたらのプライドはズタズタである。頭は完全にパニックで、「ケチャップ」の発音でさえ”catch up"(追いつく)に聞こえてしまい、誰に追いつけばいいんだ?とキョロキョロする始末である。日曜日の陽気な昼下がり、多くの家族連れで賑わう店内にあって、自分一人だけが絶望の淵で頭を抱えていた。どう勘違いして(勘違いされて)そうなったかは分からぬが、トレイではなく持ち帰り用の袋に入れられたビッグマックを前に佇んでいると涙がこぼれそうになった。
ホームステイ先に帰宅後、電子辞書で片っ端から「聞き返し」の表現を調べた。そして、学校でもマクドナルドでもステイ先でも、ニュアンスは掴めていても少しでも聞き取れていないと思ったらすぐさま聞き返した。むしろ何を問われているのか分かっていても、いろんなバリエーションを試したいがゆえに敢えて聞き返した。吉本新喜劇の「竜じい」のギャグのように聞き返して聞き返して聞き返しまくった。
私みたいに意地になる必要はないが、条件反射的に出てくるものを2つ3つ用意しておくことだ。聞き返し過ぎると相手の気分を損ねるのではないかなどと思い上がる必要もない。余計なお世話である。また、聞き取れなかった時に、一々ショックを受けるという無駄な段階も早く捨てることだ。ショックを受けると、どうしも反応がワンテンポ遅れてしまう。少しでも分からないと思ったら、開き直ってすぐさま聞き返すことだ。沈黙は金ではなく禁である。
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