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2018年4月 6日 (金)

英会話について

某高校の生徒が春休みを利用してアメリカに留学している。どのような成長を遂げて帰ってくるのか楽しみだ。もちろん数週間という短期であることを考えると、果たしてどれほどの効果があるのか訝しみたくなる気持ちも分からなくはない。しかしながら、話せるようにはならないにしても、リスニングや発音を改善する手がかりを得たり、島国特有の閉塞した空気から抜け出して、国際的感覚を養う契機になったりする。また、これからの英語学習のモチベーションや、将来さらに本格的な長期の留学を志す上での足がかりとなる期待も大きい。

ただ、およその留学費用を教えて貰ったが、いかんせん高額すぎる。私のカナダ留学の4,5か月分である。故に、説明会などでせっかく留学をアピールしていても、結局は11人しか参加しないというお粗末な結果となってしまう。そのあたり学校側はもう少し費用を抑える努力というか、高い授業料を貰っているのだから多少なりとも還元すべきではなかろうか。参加したいが費用の面で断念せざるをえない生徒が毎年多くいるという事実を、学校側はもう少し真剣に考えねばならない。

スピーキング(とエッセイ・ライティング)の授業を6月のスタートを目途に設ける予定だ。いろいろ思案している最中なので、詳細は決まり次第報告する。
以前(5年前くらいに)高校生の会話の授業を設けたことがあったが、需要がなくいつの間にか社会人向けのクラスになってしまった。しかしながら、2020年の大学入試改革やオリンピックによる国際化の波に押されて、これから世間の意識も変わっていくのではなかろうか。

大学入試が変われば、それを目指す高校や予備校の授業は変わらざるをえなくなり、また高校が変われば、中学の授業も変わらざるをえなくなる。これは正しい。これまで、(良し悪しはともかくとして)小学校に英語の授業を導入するなど
英語教育の低年齢化ばかりが目立っていたが、本来は「下」からではなく「上」から変えていかなければならない。その意味でこの流れは正しい。

危惧すべきは、大学がどこまで本気なのかということだ。現状の英検(の面接)などをそっくりそのまま利用するような中途半端なものならば、そこまでの改革ということにはならない。小手先の技術などで対応できてしまうのがオチであり、不平不満が殺到するのが目に見えている。

もう一つ危惧すべきは、上で述べたことと多少矛盾するのだが、大学側(文科省)がもし仮に本気になり、質も量もまともで本格的なスピーキングの試験を課すようになる場合、現状の高校英語教育、特に公立高校において指導が追いつかなくなる。つまり高校で指導できないものが入試に課されるという本末転倒な事態に陥る可能性が極めて高い。

さらには、スピーキングやライティングが加わるからと言って、これまでの読解問題の割合が縮小したり、あるいは旧態依然とした些末な文法問題
が完全に姿を消すとは思えない。つまり、これまでのものはこれまでのように身につけなければならず、それに加えてスピーキングとライティングにも時間と労力を割かねばならなくなるので、生徒への負担がこれまで以上に大きくなる。

戦後70年、(あるいは明治維新以来150年)、幾度となく英語教育の変革が叫ばれては対策が講じられてきたが、日本人の多くがいまなお同じ苦しみに苛まれている。そのことを鑑みれば、今回の入試改革においても結局は元の木阿弥になるのではないかという不安を完全に拭うことはできない。大きく一歩を踏み出したようには見えても、いまだ重心はしっかりと後ろ脚に残っている感じがするのである。

とはいえ、巷の英語教師も英語学習者も、悲観的にあれこれ文句を垂れるだけの傍観者であってはならないとも思う。また私個人としても、(改革を主導する最前線からではなく)場末の寺小屋塾からの大遠投にはなってしまうが、なんとか現状に一石を投じる改革者にならなければと意気込むところはある。

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