品格よりも、まず品性を
ミスドで女子高生二人組が、(祇園辻利の)抹茶ドーナツを食べながら「くそうまいんだけど!」と叫んでいた。もちろん糞がうまいわけでもなければ、糞を念頭において発した言葉でもあるまい。だが、とうとう味覚を「クソ」で表現する時代になったかと思うと妙に感慨深い。言葉とは悪化するものではなく、ただ変わりゆくものだという認識はしているが、言葉を司る個人の品性は確実に悪化しているようだ。
当塾の生徒も例外ではない。「くそです」と模試の結果を持って来たことがある。なんか糞を手渡しされたみたいで気分が悪い。模試のできの悪さもさることながら、その言葉遣いに怒りが込み上げる。さらには「眠かったので集中できませんでした」などと言い訳するものならば、怒りは頂点に達し「そこに座れ」となる。そして糞をちびるほどに説教するのは言うまでもない(?)
「彼女は、彼女の叔父によってあげられた時計をして、彼女の家の近くの公園に行った」
品性の有無はともかく、このような頭を抱えたくなる日本語は頻繁に飛び交う。たとえ「あげる」の受身形が「あげられる」だったとしても、不自然さを感じて「もらった」と言うべきだろう。また、文中に「彼女」が多すぎて気持ち悪い。日本語の場合、英語ほど代名詞を執拗に反復しないし、そもそも「彼女」という代名詞を使わない。使うとすれば、彼氏・彼女の関係を示唆するときだろう。
このように気を抜くと日本語すら怪しいので、英語は当然ながら問題だらけである。幸か不幸か本人はミスしたという自覚はないし、また指摘できる者も周りにいないので基本的には糞の垂れ流し状態となる。フィルターとなるべき英語教師や教科書などもあまり頼りにはならない(「糞の役にも立たない」と言いたいがそれはあんまりかと)、というか彼らが率先して垂れ流していることも多い、というのが現状である。
①good taste! → ②delicious! → ③yummy! → ④tasty! → ⑤ (it tastes) good!
話は変わるが、これは私の「美味しい」の何となくの遍歴である。good taste! は日本人のよくやる間違いで、「おいしい」ではなく「(服装などに対して)いい趣味してるね」という意味だ。deliciousはそれ相応のごちそうを前にした時に用いるべきで、普段の(質素な)食事には仰々しい。yummyは逆にこなれすぎているというか、もはや幼児語の類である。ろくに英語を喋れないうちから、くだけた英語を使おうとするのはイケてるようで逆にイケてない(と教養のあるネイティブに何度も怒られた)。最終的にはgood、nice、あるいはI love it.など、シンプルなものに落ちついた。
この過程を省みて今思うのは、「英語って奥が深いな」とか、「自分頑張ったな」とか、「今ならインターネットで調べれば済む話なのに要領悪いな」などではない。「なんてデリカシーのない奴・・・」である。前日の残り物なのに皮肉のようにdeliciousを連呼されたり、また自分の出した食事の評価が急にdeliciousからyummyに落とされたり、ステイ先のホストマザーは一体どういう気持ちだったろうか。なんか、上で述べた「くそうまい」の女子校生たちと目糞鼻糞のようで悲しい。
« 6月からの会話クラス | トップページ | 単語の勉強法について »
コメント