ほころぶ桜
家を出て近くのスーパーでお昼の弁当を買う。それから京王線に乗り、多摩センターに向かう。袋に入れてもらった弁当は当初こそ平衡に保たれてはいたが、駅の階段に差しかかる頃から怪しく傾きはじめ、ホームに着く頃には縁起のいい茶柱のように見事な縦になっていた。おかずのチキンもポテトサラダも漬物も混ざり合ってライスの上に乗っかかり、もはや何かの丼みたいな感じである。電車内で慎重に据え直すも、多摩センターについて勢いよく席を立つやいなや、一瞬で縦になってしまった。
バランスを保つことは何においても大事であるが、極めて難しい。学業においてもこれまた然りである。英語における4技能のバランス。受験に必要な7科目のバランス。部活やゲームやスマホをいじくる時間と勉強時間とのバランス。もちろん、ここで言う「バランス」とは同質同量を意味するものではない。なので「文武両道」という妄言をバランスが取れた理想の高校生活だと勘違いしないでいただきたい。両道(1:1)と言っている時点でもはやバランスは破綻しているのである(というか、両道にさえなりきれていない生徒もいる)。学生の本分は学業であるから、両道などではなく、「学業主道」でたまに部活動くらいが理想のバランスであろう。
今年の受験も終わり、見事に桜の咲いた生徒もいれば、桜散る結果となった生徒もいる。受験生全員の桜が咲くことでもあれば「よし集まってパーティーしようぜ」とかにもなるのだが、塾を開校して以来そんなことは一度もない。毎年必ず誰かは散るのであり、1人でも散ると何処か気が引けてしまうのである。もちろん、いつの日か受験生全員の桜が咲いた暁には、咲き乱れる桜の下で宴会でも開いて、(ノンアルコール)ビールでも酌み交わしたいと思う。
今年の受験生は、(正直に言えば)例年になく大変だった。これほどまでに「勉強しろ!」「復習しろ!」と言い続けた学年はなかったのではなかろうか。確かに生徒一人一人は性格の良い子たちばかりだった。彼らが親戚の子なら「勉強頑張ってる?」とさりげない一言で済ませて、後は一緒にオセロやトランプでもして楽しく過ごせたかもしれない。しかしながら、上述したような勉強のバランスがとれず、またそのバランスを管理する精神力が弱かったので、しばしば厳しく説教もした。
受験生の皆が皆ではないし、また受験生に限らず他の学年の生徒にも当てはまるのだが、「努力を厭う子」、「あるいは努力をしていると勘違いしている子」が多くなった気がする。言い古された(年寄りの)小言のように聞こえるかもしれないが敢えて言いたい。彼らの中には「そもそも勉強(英語、文法、数学、etc...)が苦手なんです」と漏らす生徒もいるが、実際はそうではない。私に言わせれば、彼らは勉強が苦手なのではなく、自分を厳しく律することが苦手なだけなのである。
正直、第一志望に合格していった生徒はどうでもよい。その結果は彼ら自身の頑張りによるもので、私の力でも何でもない。功に溺れることなく自信をもって引き続き大学でも頑張ればよい。一方で浪人生や思うような成果を挙げられなかった生徒は非常に気がかりである。その結果に至った責任の一端はもちろん私にもある。同じような(あるいはそれ以下な)1年を過ごしてしまわないだろうか、ちゃんとした学習計画や勝算はあるのだろうか。その辺のしょうもない予備校の口車に乗ってしまわないだろうか。
先日も、「いろいろ悩みましたが、やっぱり浪人します」という連絡が入った。その(少しだけ元気になった)声色は、春先のほころぶ桜を予感させたので、「そうか、頑張れよ」とだけ返しておいた。しばらくして「親とお礼に行きます」と返事が来た。本当にお礼参り(報復)をされるならともかく、感謝されることなど何もないので心苦しい。それでも我儘が1つだけ許されて、「何か欲しいものはありますか?」と問われれば、こう答える。少しでもましになった模擬試験の結果がほしい。
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