梅に鶯、桜に何だっけ…
乞田川沿いの桜も満開になり、そこを飛び交う鳥たちも賑やかである。ただ悲しいかな、その鳥が何なのか名前が出てこない。くちばしの黄色い鳥が、毎年のようにちょんちょん土手を跳ねまわっているのだが、いつも名前が出てきそうで出てこない。まさか飛ぶ鳥を捉まえて「名前何でしたっけ?」と訊くわけにもいくまいし、近くを歩く年配の方に尋ねてみるのも一か八かのようで何処か気が引ける。こうなると、もはや風流を味わうどころではない。自分の脳みその方が心配である。春だからといってボーッとしている場合ではない。
前回に引き続き、もう一つ鳥の話をしよう。「私は5年前に小鳥を飼っていた」をある授業で英語で書かせてみたことがある。すごい解答の1つに、I had small chicken 5 years ago.というものがあった。この英文がどこが変なのか分かるだろうか。まず、「小鳥」にchicken「鶏(にわとり)」はさすがにまずかろう。仮に家で鶏を飼っていたにしても、せめてa chickenかchickensのようにaか複数のsを付けなければならない。冠詞も複数のsもない裸のchickenは、食肉としての鶏、つまり「鶏肉」を意味する。そうなるとhaveは「食べる」の意味でもとれるので、この文は「5年前に私は少量の鶏肉を食べてしまいました」となり、まるで菜食主義者の懺悔みたいになってしまう。
やはり「鳥」はbirdであり、じゃあ「小鳥」は"a small bird"で良いかと問われれば、これもまだどこか変である。確かに日本語では「小鳥」というが、鳥は全般的に小さいものであるから、よほど他とは違って小さいんだということをアピールする必要がないならsmallはつけなくていいだろう。つまり、指でつまめるような小豆サイズの鳥がいたとしたら、a small birdと呼んでもおかしくない。普通のサイズの鳥に対してa small birdと呼ぶのは、どこか蛇足の感が否めないのである。
鳥と言えば、カルガリーに滞在中、ホームステイで出される食事が半月に1度くらいの頻度で「KFC」(ケンタッキーフライドチキン)だった(ちなみに「ピザ」と「宅配中華」も同頻度で晩の献立に盛り込まれていた)。別に嫌いではなかったが、その当時のカナダで「遺伝子操作で脚が6本ある鶏なんだよ」とか噂されていたので何処か精神的に気持ち悪かったし、何よりも「油(脂)」の過剰摂取による胃への負担で単純に気持ち悪くもなっていた。いったん、キッチンシートでとんとんしてから食べたいと思ったし、日本からのお土産に楊枝屋の「油取り紙」をあげたけど、(摂取する油の量を鑑みれば)「あれ意味なかったな」と思ったりした。
小さい頃から野菜嫌いで、あんなものウサギや虫の食うものだと思っていた私だったが、「KFC→ピザ→宅配中華」の波に翻弄されるたびに、野菜の存在意義を見直すようになり、野菜を欲するようになった。KFCの巨大なバレル(樽)に控えめながら付いてくる「コールスローサラダ」をこの時ほど愛おしく、ありがたく思ったことはなかったのではあるまいか。皮肉かどうかはともかく、カナダでの食生活が私の野菜嫌いを治す一助となったのは間違いない。
ホストファミリーは6匹の犬(と2匹の猫)を飼っていて、獲物を狙う狼の群れのごとく、KFCのウイング(手羽先)やハワイアン(ピザの一種)やジンジャービーフ(宅配中華の人気商品)を頬張る私に、ヨダレを垂らしながら距離を縮めてくるのである。最終的にぐるりと取り囲まれた私は、敵意と羨望が入り混じった鋭い視線に晒されながら、ただ黙々と食べるのであった。胃壁がボロボロの私の本心としては、半分くらい犬にくれてやってもよかったのだが、「人間のプライドが許さん!」みたいな胡散臭いポリシーから決して与えはしなかった(ホストマザーにも「ダメよ」と言われていたので)。
また鳥と言えば、カナダでは日本ではあまり馴染みのないターキー(七面鳥)もよく食べた。特に感謝祭をはじめ祝祭日には好んで食べられる。詳しい調理法は分からないが、ローストされたターキーにグレービーソースをかけて食べる。最初こそ、その珍しさと何処となく気品溢れる姿に「美味い」と勘違いしてしまったが、口の中の水分を全て持っていかれるパサパサ感にうんざりするようになってきた。しかも、ターキーが一度食卓に並ぶと、その後数日間のランチは、決まってターキーサンドイッチになることを意味した。出来立てホヤホヤでさえパサパサなのに、それ以降のものとなるともはや歯ブラシを食べているかのごとしである。
とにかく、この食生活のままでは死ぬと思った私は、大胆にもその名に「安全」を付したSafe Wayというスーパーで、私自身の安全の為に袋入りの「みかん」を購入しては机の引き出しに入れて食べていた。そんな「甘酸っぱい」思い出もある。
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