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2019年6月15日 (土)

O君の帰還

「日本に帰って来ました!塾に寄ってもいいですか?」と2年前の卒業生O君から電話があった。和太鼓のパフォーマーとして中東のドバイに行っていたのだが、1年ぶりに帰ってきたらしい。そう言えば、彼の弟からもらった今年の年賀状には、「兄は大学を休学してドバイに行っています」と書いてあった。彼の性格を考えると、南極だろうがアマゾンだろうが、どこに行こうと驚きはしないのだが、それよりも「退学」ではなく「休学」という言葉が書かれていたことに、ホッと胸をなでおろしたのを思い出した。

高校時代はいろいろ問題を抱え、それ故に親にも心配をかけたO君だった。彼のモチベーションの波は、近年の不安定な株価のように予想だにせず上下して、ある日、リーマンショックなみに大暴落したことがあった。それでも、そもそも言語習得のセンスに長けていて、高い集中力を長く持続できるタイプだったので、立ち直れば「MARCHには受かる」という確信はあった。早稲田には不合格だったが、それでもMARCHにはいくつか合格し、青山学院大学の国際学部に進学した。

太鼓を叩くのが三度の飯よりも大好きで、中学でも高校でも太鼓部に所属していた。確かに、ねじり鉢巻きにふんどし姿が似合いそうなきりっとした男前である。男性なら自分自身のふんどし姿を、女性なら家族の男性陣のふんどし姿を想像してみて欲しい。とてもではないが「似合ってるね」という感想は出て来まい。というか、すごく気持ち悪い。「ふんどし」というより、ひ弱な力士の「まわし」のようである。とにかく彼は「the太鼓」や「Mr.太鼓」という存在であり、それに相応しい生き方をしていた。

その電話から数日後、O君は授業後の私を訪ねてくれた。私の性格を熟知しているようで、開口一番に「すみません!お土産はないんです…」と謝ってきた。それから、本当は買っていたが荷物の重量の関係で没収されてしまったとかなんとか言っていたが、そんなことはもはやどうでも良かった。確かにお土産が貰えなかったことはショックだったが、それより「そういう人間に見られているのかオレ…」というのが悲しかった。「本当にすいません!」「次は絶対買ってきますから!」と何度も謝られる度に、より一層悲しくなるわけである。

ドバイには万博のようなテーマパークがあり、その中の日本パビリオンで太鼓を叩くというものだった。渡航費、住居費は出たらしいが、しばしば給与の支払いが滞り、運営会社に直談判しにいくという苦い(逞しい)経験もしたそうだ。とにかく、そんな(人気講談師の)神田松之丞ばりの迫力ある講談(苦労話)を聞いて、私は終始ドキドキ、ニコニコしている好々爺だった。恵まれた日本社会でぬくぬく育った若者が、世界で苦労する話は爽快であると言ったら語弊があるかもしれないが、彼のように壁にぶち当たっては悩み苦しみ、それを必死に突破しようとする人間が私は大好きである。

追伸:ドバイの生活で英語力の不足と必要性を身をもって痛感した彼は、奥さんの英会話の授業をとりたいということだった。もちろん大歓迎である。

 

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