腹腹ドキドキ
年末年始は京都に帰省した。亀岡市はかつては10万都市だったが、今では8万5千人くらいにまで減り、以前は賑やかだった駅前もシャッターを降ろした店舗が並ぶ。そこに煌々とミスタードーナツがあるのだが、年の瀬にも関わらず客足は少なかった。80年代の洋楽が終始流れていて、湯気の立つコーヒーを片手にアイシング(砂糖)たっぷりのドーナツを頬張っているとカナダの国道沿いの寂れたダイナーにいる気分になる。温かな店内から外を見るといつの間にか雪が深々と降っている。少し幻想的でどこか懐かしい別世界に迷い込んだかのようであった。いっそこのままボーっとしていようかとも思ったが、ふとテーブルに目を落とすと、そこには添削中の生徒の英作文があり、そのできを見るやいなや一瞬にして現実に引き戻されてしまった。
それにしてもミスドには客が来ない。店員も暇なのだろう、何回もコーヒーのお代わりを注ぎにくる。田舎のミスドとはこんなものなのか?あるいはオミクロン株を過度に恐れているからなのか?コロナ感染者は急激に増えているが、私自身もはやそこまで気にならなくなった。なんならコロナがある方が、むしろ社会全体に薄っすら緊張感があって良いとさえ思う。それは教育の場も例外ではない。生徒たちの勉強に対する意識は少なからず高まった。当たり前に与えられていた勉強する機会が奪われたり脅かされたりしたことで意識の変化があったのか、あるいは見通せない不安定な世の中で生き延びるために「勉強しといた方がいいのかも」という本能的な予感を抱いているからなのかもしれない。
年が明けて1月3日。東京に戻って23時。奥さんと二人で馴染みのラーメン屋に行く。そこはいわゆる二郎系ラーメンの店である。二郎系ラーメンの特徴は、無料で野菜(ほぼモヤシ)、天かす、魚粉、辛さ、ニンニク、玉ねぎを増すことができる。一段階目の増量を「マシ」と言い、さらに二段階目の増量「マシマシ」と言う。私は変化を好まぬ凡人なので、全て普通で注文するのだが、奥さんはそのシステムを最大限に利用し「野菜マシマシの麺少なめ」という型破りな注文をする。うず高く積まれたもやしの山が届くわけだが、それはまるで海面から突き出た氷山のようである。
毎年書いてるが、この時期の私は胃の調子を悪くする。年末年始に食べすぎるせいもあるし、こんな時間にラーメンを食ってるからだというご批判もあろう。だが、受験への不安やストレスがマシマシ、いやマシマシマシマシになるからだというのが大きい。「お宅の生徒は優秀ですね」とたまに言われるが、そんなことはない。ほとんどが寝る間を惜しんでの自転車操業であり、ギリギリの綱渡りであり、土俵際でがぶり寄られている力士であり、一発逆転を狙うギャンブラーであり、片足を棺桶に突っ込んで生死の境を彷徨う旅人(?)である。幸か不幸か少人数授業であるが故に、その苦境や逆境が彼らの何気ない言葉や態度から恐ろしいほど透けて見えてしまうので余計に怖い。なんなら毎年受験を疑似体験していると言っても過言ではない。
空になりかけたキャベジンの瓶に不安を感じ、アマゾンで新たに300錠瓶を注文した。酷い時用にガスター10も常備してある。現在、私の胃の活動レベルは平常時の6割減である。だが、今週は共通テストなので験(げん)を担いでとんかつを食べまくらねばならない。すでに数日前、近くのスーパーで「合格とんかつ弁当」なるものを発見し喜び勇んで食べた。お菓子の「カール」を食べて「受カール」や「キットカット」を食べて「キット勝ッツ」みたいな新参者のダジャレでは効果が薄かろう。やはり願いを聞き届けてもらうには昔ながらの神聖なダジャレ「とん勝つ」しかない。また私の胃痛のように、苦しみの果てにこそ神のご加護があるのではなかろうか。試験当日を含めてあと数回は食べるつもりである。私の胃よ、なんとか持ってくれ。
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