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2022年9月30日 (金)

臭いものに蓋 ー文武両道論 その3(再)ー

どこかの校長が、「うちは文武両道ではありません。学問一本道です」と、胸を張って言ってくれないかなと思っている。世間一般では「文武両道」が正しくて、「学道一本」を唱えることはどこか肩身が狭く、世間を敵に回すようで恐ろしい。恐ろしいのはわかるが、いろんなことに手を出すより、一つのことに専念する方が効果が上がることは、誰しもわかっているはずである。

人間の精神力、体力、また使用できる時間というものには限りがある。そして両道するということは、それらを2分することに他ならない。仮に「両道」が均等な配分を意味するなら、学問に50%、部活に50%になる。それはさすがに現実的にあり得ないにしても、限りある資源を配分することには変わりないので、学問に100%、部活動にも100%は無理なのである。

現在、部活動をやっていて「勉強が思うようにできていない」と思うことがあるなら、その人は文武両道ができないタイプだと考えてよい。学年が上がれば、 受験が近づいたら、やろうと思えば、という性質のものではなく、今できないものはその時になってもおそらくできない。

「文武両道」はどちらかと言うと「理念」や「理想」で留めておくべきもので、実践を前提とした「目標」にまで降ろしてくるべきものではない。まずは1つの道からである。それが軌道に乗ったら、2つ目の道に歩を進めるのもよいかもしれない。しかしながら、初めから2つの道を進むというのは、横着であり少々図々しくないだろうか。

「文武両道」という言葉の表面的な美しさに囚われて、盲目的にありがたがる学校や運動部顧問の品性の乏しさがどうしても気に入らないのである。彼らは、現実に落とし込んだ時に生じる矛盾というものを無視して、綺麗ごとを並べ立てているに過ぎない。品性の乏しさとは、尊敬すべきでないものを、先例や固定観念に任せて、無意味に尊敬することにある。

彼らは、どれだけ同じ過ちを繰り返し、臭いものに蓋をし続けるつもりなのか。4月頃の「週刊朝日」や「週刊毎日」を見て欲しい。高校別の受験結果が詳しく載っている。一部の高校を除いて、よくもまあ「文武両道」を唱えることができるな、という結果がずらっと並ぶ。一般企業なら業績不振でとっくに潰れている。

仮に私が運動部の顧問だったら「青春は一度しかないんだぞ!」とか「塾?学校の授業を真面目に受けてれば行かなくていい!」などと全く逆のことを言っていたかもしれない。ただ私は塾講師なので勉強や入試を中心に考えるし、その邪魔になるような部活を煙たく思うのは仕方がないのである。もちろん当塾は部活禁止ではないし、実際、生徒の半数が運動部である。ただ「部活が忙しくて単語を覚えてこれませんでした」と言われて「しょうがないね」と甘やかすつもりはない。受験後に「運動部じゃなければ」や「早く引退しとけば」みたいな言い訳をすることのないように頑張ってほしい。



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