敢えてもう一度言う
「大学共通テスト」が始まって、そしてあっという間に終わった。希望を次に繋いだ者もいれば、絶望の淵に立っている者もいるわけだが、そんな後者の生徒のために「励まし」と「共通テスト後の心構え」を個人的な視点で述べてみる。
正直言って、大学を受験する生徒の多くは(国立大志願者を除いて)、共通テストを受けなくてもいい。もちろん受けるのは自由だし、共通テスト利用の入試方式を導入している私大がほとんどだから、それを利用しない手はないのも分かる。全ての試験に先立って大々的に行われるし、なぜか皆受けるし、高校も受けろと言ってくるし、何といっても受験回数が増えることで、合格のチャンスが増えるかもしれないからだ。
ただし、上手くいかなかった(思うような点数が採れなかった)場合に、そこまで凹むかというほど凹む人間がいる。国立大志望なら分からなくもないが、それ以外の人間は別に悪くても、一般入試で頑張ればいいではないか。むしろこのタイミングで凹んだり、ボーダーが気になったりして、その後の勉強が手に付かないことの方が問題である。
そもそも「共通テスト」とは、受験スケジュールが過密になるのを避けるために、絶対に受かるだろうというような(わざわざ受けに行くのが面倒臭いような)滑り止めの大学に利用するのである。上位の難関大学を共通テスト利用で受けても、そもそも採る枠が少ないし、全ての教科で9割近い高得点を揃えなければならない。なのでハードルは非常に高く、試合巧者な浪人生が枠の多くを占めていくのである。このようにかなり厳しい条件の試験なわけなのだが、なぜか皆「おいしい」「チャンスだ」と思い込んで受けたがる。そもそも共通テスト利用方式で受かるくらいの実力があるならば、一般入試で普通に受けても大概は受かるのである。
このように、共通テストに期待を寄せ過ぎる受け方をしてしまった生徒は、この大事な時期に大きくペースを乱されてしまう。そして気づく、受験料で儲けたい大学にとっての良い鴨となってしまったことを。あるいは痛感するかもしれない、一つの試験の点数で、出願した全てが落ちるというギャンブル的なリスクを。
なので、私大受験者は共通テストの存在をなるべく無視することだ。「受けない」という選択が現実的に無理ならば、精神的に左右されない心構えを端からしておくことだ。共通テストはゴールではない。浜松や米原のような通過駅である。なるべく速度を落とさず通過して、目的地である新大阪(2月の本番)に向かわねばならない。新富士駅で下車して富士山を眺めながら駅弁を食ってる場合ではないのである。緊張の糸を切らさずに、勉強の手を止めずに、頭はCOOLに、心はHOTのままに突き進んでほしい。
あとは「自信を失うことなかれ」だ。当塾でやった読解や単語やイディオム試験、英作文などは、私大一般入試や国立大二次でこそ効力を発揮する。君らはそちらの方が得意なはずである。共通テスト初日の極度の緊張もほぐれたはずで、ここからが本領発揮であり、攻勢に転じる時だ。仮に共通テスト利用が不合格であっても、堂々と一般入試で受けて合格すればいいではないか。それだけのことである。凹んでいる国立大志望者も、2段階選抜(足切り)はないのだから、実力差のはっきり表れる二次試験で逆転すればいいのである。それだけの話であり、それだけの英語力は授けたつもりである。足を止めずに最後まで走り切れ。
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