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2025年5月13日 (火)

スプーンを言葉に添えて

朝9時のミスタードーナツ。連休明けの店内はガラガラで、席とりをしてレジに向かう。私の前にはお爺さん。ドーナツと併せて、コーヒーを注文したらしい。店員が「スプーンは、ご要りようですか?」と尋ねると、お爺さんは何を聞かれたのか分からない様子で、「え? 何だって?」と困惑した表情を浮かべて聞き返す。店員は、もう一度、今度はゆっくりと「ス、プー、ン、は、要、り、ま、す、か?」と繰り返すものの、やはりピンと来ていない。「わからんよ!」少し憤りの籠もった言葉に周囲の空気がピリつく。店員の声の大きさにも活舌にも問題はないし、これ以上、簡単な言葉に噛み砕きようもない。

せめて日本語に変換して「お匙(さじ)のことですよ」と声をかけようとした、その時である。店員さんがふっと笑って、「じゃあ、とりあえず付けときますね!」とスプーンをトレイに置いた。すると、「ああ、スプーンか! ハハハ!」とお爺さんは大笑いである。店員さんも「活舌が悪くすみません!ハハハ!」と大笑いで返した。なんてことはない。ただ「スプーン」という単語が聞き取れなかっただけなのだが、それは店員の発音の問題でも、お爺さんの耳の老化のせいでもない。「スプーンが要るかどうか」という問いそのものが、文脈としてお爺さんの想定外だった。だから分からなかったのである。最後まで匙(さじ)を投げずに笑顔で対応した店員に心から拍手を贈りたい。

こうしたトラブルは、私自身も枚挙に暇がない。カナダのマクドナルドで、注文も会計も無事に済ませて、あとは商品を受け取るだけと安心したその瞬間、店員がこちらを見て「キャッチャップ?」と言った。トレイに手を伸ばそうとした身体が固まる。このタイミングでの質問ってあるだろうか?「ピクルス抜きますか?」みたいなトッピングを聞くわけないし、「また来てくれますか?」みたいなやり取りも気持ち悪い。とりあえず脳内で検索をかけてみて、何とか“catch up(追いつく)”という表現に辿り着いたが、この場には不相応すぎて、こじつけることも不可能である。後ろに並ぶ客の視線が背中に刺さって痛い。ひきつる口先を何とか動かして「yes…」と答えてみた。すると店員はカウンター下に手を入れてモゾモゾし、私のトレイに何かをドサッと置いた。「ケチャップ」の山である。これは私のリスニング力が未熟だったというよりも、状況の想定を超える質問は、どれほど明瞭に発音されても、頭に入ってこないのである。

このようなことは、遠い昔からある。小学生の頃、近所を回る選挙カーから「ご声援ありがとうございます」と声が飛んできたのを、私は「五千円ありがとうございます」と勘違いしていた。今思えば「選挙法違反」でありえない話なのだが、その当時の私は「そんなに5千円札が貰えるなら、全ての選挙に出よう」と思っていた。また、報道番組で「次は政治家の汚職事件についてです」とアナウンサーが読み上げたときも、「お食事券?」と思い込んでしまった。どちらも私の卑しさからくる勘違いなので恥ずかしい限りである。コロナ禍の初期においては、「数パーセントの高齢者が重症化し」と語るキャスターの声が、「スーパー銭湯の高齢者が重症化し」と聞こえてしまい、サウナで倒れる高齢者の統計か何かだと思ってしまった。音はちゃんと聞こえている。耳も悪くない。人は文脈というフィルターを通して言葉を理解するのだが、このようにフィルターがずれていると、どんなに明瞭に発音された言葉も正確には届いてくれないのである。

英語の授業で、「彼が仕事をしている机は、かしでできている」という文を英訳させたことがある。すると「a desk made of sweets(お菓子の机)」と書いてきた者が何人かいた。たまたま腹が減っていたのか、それともヘンゼルとグレーテルの世界観に感化されたのだろうか。それ以降、同様の勘違いをしないように「樫でできている」と漢字表記に改めた。すると今度は、「a desk made of fish」と書く者が続出である。ご察しの通り、「樫(かし)」を「鰹(かつお)」と勘違いしたのである。「お菓子の机」は100歩譲って分からなくもないが、「カツオの机」とはどんな文脈を想定したのだろうか。

以上のように、1つ1つの言葉を聞き取れたとしても、その前提となる文脈がずれていれば、意味を正確に理解することは難しい。これは英語読解においても同じである。英単語を一つ一つ日本語へと変換する作業に終始するのではなく、一文一文の構造把握に満足するのでもなく
、それらを繋げて段落ごとの流れや主張を把握し、文章全体として筆者が何を伝えようとしているのかを読み取ることが重要である。だからこそ、英単語や英文法の習得だけでなく、「何がどう語られているか」に心を配る読解力が求められるのだ。





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