前のめり
多摩センター駅から塾へ向かう道すがら、乞田川沿いを歩く。川の両岸には桜の木が並び、春には見事な景色を見せてくれる。ただ、年々その桜たちが川の方へとせり出すように傾いてきているのが気掛かりだった。手を伸ばせば枝に触れられるものもある。そんなこと思っていた矢先、いくつかの木に札がかけられているのに気づいた。桜が満開でも足を止めない自分が、思わず立ち止まって読んでしまった。幹の中が腐食し空洞化しているため、7月から8月にかけて81本もの木を伐採するという告知だった。
以前、まさにその元凶である「die back disease(胴枯れ病)」に関する英文記事を授業で扱ったことがある。"ash" という単語が出てきて、おそらく全員が「灰」と訳す(あるいはそれすら出てこない)だろうと思っていたが、きちんと植物の「トネリコ」と訳してみせた生徒がいた。彼女は私の作成した単語プリントを隅々まで読んでいて、"ash" の解説欄の最後に小さく添えられた「トネリコ(樹木)の意味もある」という補足まで目を通していたのだという。「説明の内容が楽しいので苦痛じゃないんです」「単語にまつわる情報ごと覚える方が、むしろ忘れない」と語る彼女は、さらに辞書で「トネリコ」を調べ、「スキー板の素材になるらしいですよ」と私の知らないことまで披露してくれた。
カナダで出会った留学生たちも、彼女のように向上心のかたまりだった。彼らの多くはアジアや南米の発展途上国から来ていて、生きていくためにどうしても英語を身につける必要があった。未来と生活がかかっているからこそ、鉄のような意志で努力を重ねていた。普段は陽気な彼らだったが、母国の不安定な社会情勢や貧しい経済状況の話になると笑顔は消えた。アルジェリアから来た同級生は、家族を残してきた苦しさを涙ながらに語り、一刻も早く生活の基盤を築いて家族を呼び寄せたいと言っていた。それぞれが不安や焦燥感を抱えながら必死にもがいていたし、閉塞した人生に風穴を開けるには「留学」という一か八かの離れ業に賭けるしかなかったのである。
学ぶ子どもたちを見ていても、成長の差は学習意欲で決まると感じる。言われたことの8割程度をこなして満足する者、それすらおぼつかない者、そして言われた範囲を超えて自ら学びに向かう者といった感じである。後者はかなりの少数派だが、間違いなく大きく伸びていく。もっとも、人は誰しも自ら進んで学べるわけではない。だからこそ、強い危機感や切実な願いに背中を押されることも時に必要なのだろう。"トネリコの彼女"のように内から湧き上がる好奇心で学びに向かうのが難しい人でも、"カナダの留学生たち"のように外からの不安や重圧があれば、本気で頑張れるのではないか。社会の「ぬるま湯」が冷たくなったとき、子どもたちの中に「このままではいけない」という危機感が芽生え、そこから本当の向上心が育っていくのかもしれない。
もちろん、平和で豊かな社会こそが理想だし、誰もが安心して暮らせるに越したことはない。それでも不謹慎ながら、「逆境こそが人を育てる」という考えが頭をよぎることがある。あの乞田川の桜も、幹の内側を病に蝕まれながら、それでも毎年春になれば懸命に美しい花を咲かせていた。人も同じように、内に抱く不安や外からの逆風を糧にしてこそ、本当に強く、美しく花開くのだと思う。


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