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2026年5月13日 (水)

注げなかった一杯

受験生たちが去っていった。この時期になると、教室は急に静かになる。ついこの間まで、「関係代名詞の目的格のwhichの使用は避けるべきですか」とか教師顔負けの先進的な質問をしてきたり、最後の最後まで怠ける子に対して努力論を語らなければならなかったり、大きなリボンの服を着てきて「のし袋みたいやね」とか大きな薔薇の柄を見て「キャベツみたいやね」といじっていた顔が、もうここにはない。

保護者や体験授業の方、ちらしを見た見知らぬ方まで「今年もすごいですね」と言ってくださるのだが、実際はそんな単純な話ではない。全員が第一志望に受かったわけではないし、結果に納得できず浪人を選ぶ者もいる。むしろ、そういう生徒の顔のほうが後々まで頭に残る(意外と本人は平気だったりするのだが)。だから私は、ホテルで「卒塾パーティー」だの「祝賀会」だのを開く気には、どうにもなれないのである。

私の高校時代、恩師である竹岡広信先生の「竹岡塾」では、三月の終わりにその卒業パーティー(卒塾式)があった。場所は塾のOBの実家だったと思うが、立派な料亭だった。さすが竹岡先生の求心力で、忙しい時期にもかかわらず塾生全員が参加していたと思う。ちなみに延暦寺の夏合宿も全員参加だった。うちの塾のように「部活の合宿が」「家族の旅行が」などというのは論外だった。

その宴席では、私はなるべく先生から遠い場所に身を潜めていた記憶がある。それほどまでに先生が苦手だったというか、心の底から畏怖していた。勘違いしないでほしいが決して嫌いだったわけでははない。「そのピー(園山なので)」と呼ばれて顔を赤らめるだけで下を向き、揶揄されるがままだった思い出もある。先生に睨まれると、何かを話そうにも喉が張り付いて言葉が出ないのである。

中学までは、それなりに「できる生徒」という顔をして生きていたのだが、竹岡塾に入った瞬間、その化けの皮は見事に剥がされた。単語テストは壊滅的(クビ寸前だった)、英訳を当てられてもどこから手をつければいいのか分からない(ゲジゲジ以下と評された)。やる気も根性もなく、言われた課題・復習もまともにせず、ただプライドだけが高い。今思えば、教師にとって最も扱いにくい類の生徒だったと思う。先生は当然、それをすべて見抜いていた。

「ええ加減にせえよ!」「こんなんも分らんのか!」「虫以下や!」

昭和の教師なら珍しくも何ともない普通の叱責である。だが当時の私には恐ろしく感じられた。今でも、竹岡先生に英文解釈を当てられ、固まっている夢を見てうなされることもある。五十近くなってまで見る夢ではない。

卒塾式では、未成年にもかかわらずビールが振る舞われた。もちろん強制ではない。当時は大学に入れば新歓コンパで酒を飲まされる時代だったから、「自分の限界を知っておけ」という配慮でもあったのだろう。ビールで陽気になった連中は先生の横へ行き、楽しそうに語り合っていた。だが私は隅でオレンジジュースをちびちび舐めながら、「早く帰りたいな」と思っていた。今思えば、せめてビールの一杯でも注ぎに行けばよかった。それだけは少し後悔している。

その会の最後に一人ずつ進路を発表する時間があった。阪大、浪人、同志社、信州大、浪人、府立大、浪人。名前を呼ばれ、淡々と進路を口にする。拍手も歓声もない。ただ、空気だけが少しずつ重くなる。うつむきながら唇をかみしめる者もいれば、妙に明るく振る舞う者もいる。私も、浪人する者に気をかけてか、神妙な口ぶりで言ったと思う。

今振り返れば、毎年のように数人京大合格者を輩出していたが、その年はおそらく0人だった。第一志望合格者もそれほど多くはなかったし、浪人が多かった気がする。竹岡塾の歴史の中では、不作の年だったのかもしれない。それでも、三年間を共にした仲間と恩師の前で、自分の進路を口にする。それだけは、きちんとやらねばならない空気があった。

時が経ち、いつの間にやら送り出す側の立場になっている。もっとも、竹岡先生のような貫禄や求心力など、私にはまるでない。結果にかかわらず全員を集わせる卒塾式をやる覚悟も勇気もない。それでも毎年、この時期になると、卒塾式の隅で遠目に竹岡先生を眺めながらオレンジジュースをちびちび舐めていた自分を、複雑な感情とともに思い出すのである。



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