『竹岡塾』というところ
もう少し「竹岡塾」に思いを馳せてみよう。一時期、とりわけ高1の1学期などは、先生の叱責や罵声に精神的に病んだりした。親の前で「辞めさせてくれ」と泣いたこともある。しかしながら、辛辣とはいえ先生の言葉はもっともであったし、「虫以下」と評された私にさえ分かる教師としての凄みがあったからこそ、一時の感情に流されず踏みとどまることができた。今の自分があるのは、竹岡先生のおかげである。先生の出版物は全て買い揃えていて、あとがきやコラムに時折のぞく先生らしい毒舌を読むたび、あの教室の空気がふっとよみがえる。
竹岡塾とは、当時の感覚からしても常識外れで異様な塾だった。京都市内でもなく、駅前の一等地でもなく、亀岡市という田舎にあった。電車やバスで通学する者はほとんどおらず、自転車で通うか、親に車で送り迎えしてもらうのが普通だった。SNSどころかスマホもない時代に、「いい塾あるらしいで」と口づてにその噂は亀岡中に広まっていた。東別院町や旭町といった、さらに山奥から峠を越えて通う生徒もいるほどだった。
私の家は幸運にも亀岡市内だったので、自転車で片道20分で済んだ。もっとも、通学路は車道の白線ギリギリを走らねばならず、かなりのスリルを伴った。ダンプに轢かれかけたり、チェーンが外れて派手に倒れたり、悲鳴のような金切り音を立てるくせにブレーキが全く利かなかったりした。タイヤはいつも空気が足りず、ほとんどパンク寸前の状態で走ることもあった。これで雨でも降ろうものなら、さらに地獄である。
そんな思いをして辿り着く先の「竹岡塾」は小川の土手にあった。農家の離れを思わせる小さな平屋だった。看板どころか表札もないので、通りすがる人には単なる物置に見えたかもしれない。大きな看板や洒落たキャッチフレーズ、合格実績を壁一面に貼り出すような今どきの塾とは対極にあった。うまいラーメン屋が意外と駅から遠く、地味な外装で中はこじんまりしているのと同じだと思ってもらえばよい。私の記憶が正しければ、入口のドアには鍵さえかかっていなかった。
内装は前面にホワイトボードが二つ、二人掛けの座卓が10列あった。教室いっぱいに座って、20数人だったように思う。悲しいかな座卓なのでイスは用意されておらず、机の上に置かれた座布団をポンと下に敷いて座る。とにかく腰がめちゃくちゃ痛いのと、男子の場合あぐらをかくので膝が触れ合う気持ち悪さに耐えねばならなかった。さらに最悪なことに、隣が貧乏ゆすりを始めると、膝は触れるわ机は揺れるわで、もはや授業以前の精神的苦行となった。女子も半数くらいいたので、女子の隣ならスペースに余裕はあるのだが、うぶ過ぎる私がその隣に座るのはパフォーマンスが下がるので無理だった。
そんな教室に何ヶ月も通っているうちに、席はなんとなく固定されていき、いつの間にか最前列の左端が私の指定席になっていた。まず断っておくが、やる気があったから最前列に座ったわけではない。動悸がするほど緊張しいだった私にとって、最前列だと他の生徒が視界に入らないので気分的に少しましだった。また、左ひざを壁にもたれかけることができたので、スペースに余裕ができ、右膝だけ気を付けておけばよかった。さらに竹岡先生はいつも私の席から当てるので、最初の文を徹底的に準備しておけば効率よく切り抜けられたのである。
ちなみに表向きの授業時間は2時間だったが、1時間半くらいでいったんトイレ休憩が入り、その後も1時間以上は授業をしたように思う。なので実質は2時間半を超えていたのではないだろうか。もちろん授業そのものに引き込まれていたことは言うまでもないのだが、常に叱責の対象となる恐怖と隣り合わせだったので時間を気にする余裕などなかった。さらに「今日は機嫌悪そう…」「疲れてはるなあ…」という日は、災害時の特別警報なみに厳重な防御体制に入らねばならなかった。逆に機嫌がいい時は、先生の余談や皮肉交じりの教育論がとにかく楽しかったので、時間が過ぎるのは早かった。
授業後は掃除をして帰る。全員ではなく指名制で、授業中に何かしら「罪」を犯した者へのペナルティ的な感じだった。雑巾がけの水を汲みに外に出ると、建物のすぐ横には無表情なお地蔵さんが並ぶ小さな祠があって、そこに水道があった。固い蛇口を回して出てくる真冬の水は凍るように冷たかったが、頑張ったと思える日の外の空気は澄んでいて驚くほどおいしかった。
授業前に外で待っている間も、単語テストに目を落とすばかりで、お地蔵さんを一瞥することさえなかった。せめて一度でも面と向かって手を合わせていれば、塾でのパフォーマンスも多少は違ったかもしれない。「地蔵に手を合わせる」という救済イベントがすぐそこに用意されていたのに、当時の私は全く気付いていなかったのである。
以上が今思い出せる、およそ30年ほど前の竹岡塾の概要だ。残念ながら、私が通ったあの竹岡塾の教室はもうない。真横を流れる川の護岸工事に伴い、土手沿いの建物は取り壊されてしまったらしい。いつかは老朽化で限界が来るだろうと思ってはいたが、意外な形で終わりはやってきたのである。さぞOBやOGはがっかりしたことだろう。
もっとも、その喪失感も長くは続かなかった。あろうことか、歩いて数分のところに竹岡塾はよみがえった。しかも新築2階建てである。なんと看板もある。卒塾生から「普通の塾みたいでいやだ」という文句が多かったらしい。ただ彼らの要望や意向をくんで、椅子ではなく地べたに座布団を敷いて座るという「竹岡様式」は受け継がれることになった。もちろん今でも、現役で竹岡塾は存在する。膝を擦り合わせながら後輩たちが学んでいると思うと、ほほえましい。できることなら、あの祠のお地蔵さんも一緒に新しい教室のそばに移設してほしかった。今でも私のような「手を合わせる救済イベント」が必要な後輩がいるはずだから。
※もし旧竹岡塾の教室や、横にあった祠のお地蔵さんの写真をお持ちの方がおられましたら、ぜひご一報ください。この文章に添えることができれば、とてもうれしく思います。
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